入院初日
入院初日の朝、出勤準備してたら母から電話がかかってきました。
第一声が「助けて」でした。
聞いてみるとすごくお腹が痛いと言うので、痛み止めは飲んだのか聞いてみるとロキソニンにボルタレンは飲んだけど効かないと返事がきました。
依然にもらっていた医療用麻薬オキノームは飲むのが怖いから調べてほしいとのことだったので調べて飲んで大丈夫やからと飲むように言いました。
それから実家へ行くとだいぶマシになったけど動くと痛いというので、この状態で診察を待つのは無理と思ったので救急車を呼びました。
救急車でいつも抗癌剤を打っている病院へ。
この救急搬送がもしかしたら間違いだったのかも?と今でも思っています。
主治医はその日は休みだったので違うお医者さんに診てもらい、腹水穿刺で腹水を抜き、楽になったのか退院すると聞かないうちの母。
腹水を抜くのに時間がかかるので抜き終わるまでに入院を決めてくれたらいいと言われ、抜き終わるまでの6時間くらいは家に帰ったり、昼寝したりとダラダラ過ごしていました。
母は入院すると私が次の日も休まないといけないと思って退院すると聞かなかったみたいです。
私が会社終わるまで入院できるとわかったらすんなりとじゃあ入院しよかとなりました。
入院が決まり、入院の準備等をして病院にいくとテレビがみたいからテレビカード買ってきてと普通に元気でした。
明日会社終わったら迎えに来るからと言って帰りました。
この日はいつもの入院した時と変わりませんでした。
ディスカッション
コメント一覧
記事をみて涙が止まらなくなりました。
岸和田に入院されたのではなかったんですね。
病状をきちんと把握してくれていたのか、適切な処置をしてくれたのかなど気にしだしたらキリがありませんが、宣告された寿命をはるかに越えて2年間も頑張られたのなら「お疲れ様」と言ってあげるほかありませんよね。
だんたん弱っていって、いつ死ぬんだろうと恐怖を感じながら日々を過ごされたわけじゃなくて、明日になったら家に帰れるから今日はテレビを見て過ごそうと思っていたらいつの間にか…だったならある意味幸せな最期だったのではないでしょうか。
亡くなってしまわれたのだから、幸せな最期だったと思ってあげたいですね。
でも残された家族の気持ちはまた別ですよね(T_T)
会いたい、寂しい、なんで?ってそればかりグルグルしているでしょう。前向きになれるまで時間がかかって当然です。
サイトのことはまだいいじゃないですか。しばらくお休みして、琥珀さんが前向きになれたら少しずつ始められたらいいのです。
そのままフェードアウトしてしまったとしても大丈夫です。
人のことより、今はご自分とご家族で気持ちを整理する時ですよ!
かーたん様
岸和田に入院ならもしかしたら違った結果だったかもしれません。
結果が同じだったとしてもこんな後悔はしなかったと思います。
やはり病院、先生の信頼は必要ですね。
ただの風邪程度ならいいかもしれませんが、大きな病気や入院となると信頼できる病院先生じゃないと、処置が正しかったとしても疑問しかでてきません。
母は幸せだったのでしょうか?
叔父さん伯母さんからはあんたはよくやったよと言ってくれましたが、まだまだなにかできたんじゃないかって思ってしまいます。
サイトのほうは私みたいに後悔しないように同じ思いをしてほしくないので、早く完成させたいです。
岸和田に通っていればかーたんさんにいつか会えたりするのかな?とも思っていましたが、叶わなくなりました(笑)