入院3日目

入院3日目は朝5時に病院から電話かかってきました。

血圧が急激に下がったから来てほしいということです。

急いで病院に向かうと母は

え?何しに来たの?

とびっくりした顔で言ってきました。

 

別段何もなく、いつも通りの感じで母はうとうととし、そのまま寝てしまいました。

 

とにかく病院を変えないとと思っていた私は8時くらいなら米村先生は来ていると思い、岸和田徳洲会に電話しました。

 

すると本日は米村先生はお休みですと返答が!

草津のほうへ行ってるというので草津へ電話。

草津は1回も行ったことはありません。

正直に米村先生の岸和田徳洲会の患者で草津には1回もかかったことないことをまず伝え、米村先生に聞きたいことがあると言うと、米村先生の部署へつないでくれました。

 

そこの看護師さんが詳しく母の状態を聞いてくれ、米村先生が来たら電話かけさせますと言ってくれました。

 

一度母のところへ戻りました。

まだ母は寝てしまいました。

寝れなかったのかな?と思っていると草津から電話がありました。

 

しかし、米村先生ではなく、看護師さん。

米村先生は忙しく、手が話せないので状態を伝えたらとりあえずそのまま入院しといてくださいとのことです。

手が空き次第米村先生が電話かけますので待っていてください。

と言ってくれました。

 

その頃主治医がきて、血圧も低く、意識も低いので時間の問題ですと言われ、イラっとしました。

 

声をかけると普通に返事しますし、苦しそうとかはあまりなかったです。

しかし10時くらいになると呼吸が少しおかしくなってきて、米村先生早くー!とずっと思っていました。

 

10時50分頃に喉に痰が絡んでる音がしたので吸引をお願いしたら、痰がなく、そのまま呼吸がほぼ止まり、脈もなくなりました。

朝まで会話できたのにたった数時間で息引き取るとかあるの?

病院がなんかしたんじゃないのか?

とか色々ぐるぐる回っていました。

 

葬儀屋を早く決めろと急かされ、葬儀屋を決め、色々な段取りが決まった頃に米村先生から電話がかかってきました。

 

おー、どうや?調子は?

といつもの軽い感じではじまりました。

 

わざわざ電話ありがとうございますと伝え、息を引き取ったことを伝えると、

 

残念やったなぁ

ずっとがんばってたのにな

一昨日風邪ひいたやろ?

あれなければ手術できて治ってたかもしれんのになぁ

 

いつも

なんやったっけ?

と言われるので患者いすぎて覚えられてないと思っていましたが、しっかり覚えられてました。

 

そして米村先生の義理のお義父さんも母と同じ病気で亡くされたそうです。

 

先週来たときにな、血液検査の結果見て入院させようか悩んだんや

と言われたときは

入院さしてほしかったです!米村先生!

 

それで結果が全く同じでも今回のような後悔はなかったはずです。

 

じゃあまたなんかあったら電話ちょうだい、ほなねー

と電話切れました。

 

わざわざ直接電話かけてくれた米村先生、1度もかかったことないのに親身になってくれた草津病院の看護師さん。

本当に感謝しかありません。

 

それに比べてこの病院はなんや!?ってなりました。

蘇生してもどうせ治らないから無駄やから蘇生しないとか医者が言いますか?

ナースコールしてもこないとか、ちょっと氷が欲しいって頼んだらわがままばかり言うて!と言う看護師がいますか?

 

病院に殺されたとしか思えないです。

処置が正しいか米村先生に聞くの忘れたのでわかりませんが、処置が正しかったとしても後悔しかありません。

 

最後の最後で後悔してしまいました。

あのときこうしてれば、ああしてればがずっとぐるぐる回っています。

 

前々から作成していたのですが、私のように後悔する方が少しでもなくなるように色々ながんの情報を発信できるサイトを公開します。

がんに関することはうさんくさいのも含めてものすごく多いです。

その中でこれ試したよとかこんなんあるよとか口コミみたいなサイトで、こんな治療法あるよとか、こんな食事療法あるよとか、がんに関わるものを実際にされてる人の感想を含めて発信できたらなと思っています。

治療とか食事療法等すぐできることはすぐ見つかるサイトにしたいと思っています。

 

皆様完成しましたら情報等頂けたらと思います。

 

 

 

 

 

 

この記事を書いた人

琥珀

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